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更新日:2017年2月26日

小栗の里のお伊勢様(飯島章)

筑西市小栗(おぐり)に、内外大神宮(ないげだいじんぐう)があります。
下の写真は、内外大神宮の参道です。
鳥居をくぐって、鬱蒼(うっそう)と樹木が生い茂る参道を歩きます。

石段を登ると正面に拝殿があります。拝殿の後ろに本殿が鎮座しています。
下の写真が、本殿です。

右が内宮(ないぐう)本殿、左が外宮(げぐう)本殿です。
内宮のご祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)、外宮のご祭神は豊受大御神(とようけのおおみかみ)です。
本殿は、三間社神明造(さんけんしゃしんめいづくり)と呼ばれる様式で、伊勢神宮の内宮・外宮と同じ作りです。
右側の内宮本殿は、外宮の本殿に対して規模がひとまわり大きくなっています。また屋根は本来茅葺きでしたが、現在は銅板で仮葺きされています。
内宮・外宮ともに、平成21年12月に国の重要文化財に指定されました。建築年代は江戸時代の延宝7年(1679)です。
下の写真は、内宮の本殿を近くから撮ったものです。

屋根の棟(むね)を支える柱が、壁の外側に出て立っています。
この柱を棟持柱(むなもちばしら)と言い、古い建築様式が残ったものとされています。
伊勢神宮と同じ建築様式の社殿が建てられたのは、平安時代終わり頃の寛治(かんじ)年間から康和(こうわ)年間(1087から1104)に、ここ小栗の地が伊勢神宮の領地となり小栗御厨(みくりや)と呼ばれたことに由来しています。伊勢神宮の領地を、御厨と呼びました。

今回、筑西市の内外大神宮と小栗御厨を取り上げたのは、取手の歴史と共通する所があるからです。
すなわち平安時代の終わり頃、大治(だいじ)5年(1130)6月に、平経繁(たいらのつねしげ)は下総国相馬郡の領地を伊勢神宮に寄進して相馬御厨が成立しています。
平経繁は、かの平将門の子孫を称していました。小栗の地を治めていたのも、将門とおなじ桓武平氏の血筋を引く小栗氏でした。
常陸国(ひたちのくに)で、伊勢神宮の領地となったのは小栗御厨がただ一つだったようです。そのためか、常陸国イコール現在の茨城県として、小栗御厨は茨城県内で唯一の伊勢神宮領だったとする見解があります。しかし相馬御厨の範囲に含まれる現在の取手市・守谷市・利根町一体は、下総国でしたが今は茨城県です。
よって現在の茨城県内で、伊勢神宮の御厨となったのは小栗御厨と相馬御厨の二つとなります。

 

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