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更新日:2017年10月27日

【市長コラム】常磐線開業120周年を祝う

市報「広報とりで」2016年10月15日号に掲載した市長コラムです。

今年は常磐線の田端・土浦間が明治29年に開業してから120年の節目の年となります。取手駅、藤代駅もこの年に開業しています。現在の常磐線のルートが固まる前には先に開業していた東北線の川口から流山、柏、我孫子、取手を通り土浦から水戸方面に延伸するという案が存在したといいます(『日本国有鉄道百年史』等より)。常磐線の取手・藤代の両駅が現在の場所に定められ、東京の田端に直接つながったことが今日の繁栄の大本となっています。

殖産興業が推し進められていた明治の時代、鉄道は、旅客はもとより鉄鉱石や石炭等の大量の物資を効率的に首都に運び込むことを大きな目的として整備が急がれていました。当時は石炭をたく煙と喧噪が街中に入り込むのを嫌い鉄道敷設への反対運動が起き鉄道を当初案どおり敷設できなかった町もあったくらいですから、取手駅・藤代駅の開業は、後の世の多くの人々に幸せをもたらす真の良縁となったと言えるでしょう。

確認できるところでは、明治35年には、取手・上野間は約1時間半から2時間かかっていたようです。運賃は42銭とありますから今の貨幣価値では1,700円程度でしょうか。徒歩で10時間、蒸気外輪船で10時間と比較すればそのスピード感は驚くべきものだったと思います。

その後、常磐炭鉱の開発、日立を中心とした重工業の発展により常磐線は揺るがぬ地位を固めていきます。終戦後の混乱を経て、松戸・取手間は昭和24年には電化されます。昭和42年には日暮里・岩沼間が完全電化され、昭和45年には水戸鉄道管理局内で蒸気機関車が完全に引退しました。

さらに、東京圏の住宅地が郊外部へ一挙に延伸する動きが私たちの町、取手・藤代の景色を一変させてきたのが昭和40年代です。取手以南を複々線として、緩行線(各駅停車)と快速線を全く別の線路で整備したことで、常磐線沿線の住宅地としての利便性が一挙に高まりました。石岡市柿岡に気象庁地磁気観測所があるため、藤代以北に直流電車を走らせられないこともあり、取手駅始発での直流電車が整備された一因ともなりました。

昨年3月には上野東京ラインの開業により常磐線が東京・品川駅まで乗り入れました。東京オリンピックを4年後に控え、今後は羽田空港とのより緊密な連結という形で常磐線が大きく発展するものと期待されます。明治29年12月25日には、取手駅で土浦・田端間開業式を開催し、300人が参列したとあります。今後開催される常磐線120周年の開業イベントにはぜひご参加ください。

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