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更新日:2021年3月15日

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『取手市史』から広がる郷土の歴史(飯島章)

明治11年1月の茨城県古蹟(こせき)調査

『取手市史』近現代資料編1の133ページに、明治11年(1878)1月9日付けの茨城県土浦支庁第3課から管内町村の副区長・正副戸長あての通達が掲載されています。
内容は、常陸国において亀ヶ岡および藤房卿(ふじふさきょう)の隠逃所(いんとうしょ)があれば、名称・郡名・町村名・面積などを詳細に取り調べ、大至急提出するようにとなっています。

「亀ヶ岡」とは、具体的に何を指しているのか筆者にはわかりません。ご存じでしたら、ご教示ください。

「藤房卿」とは、藤原藤房(ふじわらのふじふさ)です。万里小路(までのこうじ)藤房とも呼ばれています。

万里小路藤原藤房

藤原藤房は、鎌倉時代の終わりから南北朝時代に活躍した貴族です。
元弘元年(1331)、後醍醐天皇が鎌倉幕府打倒の兵をあげると、天皇とともに笠置山(かさぎやま)に立てこもりますが、落城後に捕らえられます(元弘の変)。

翌元弘2年、藤房は常陸国に流されます。常陸国では、小田治久(おだはるひさ)に預けられ、藤沢城に幽閉されます。

鎌倉幕府が滅びると京に戻り、後醍醐天皇の建武新政権下で重く用いられます。しかし突然出家して、人びとの前から消え失せます。
藤房は実在の人物で、「太平記」では後醍醐天皇にも諫言(かんげん)する気骨ある人物として描かれていますが、史実と伝説が混在し、特に出家後の人生はよくわかっていません。

藤原藤房髪塔塚(はつとうつか)

明治11年に、茨城県が藤原藤房ゆかりの地の調査を命じた理由ははっきりとしません。
残念ながら、現在の取手市内には藤原藤房ゆかりの地はありません。
しかし、取手の近く土浦市には藤原藤房の髪塔塚と伝承される場所があって、昭和14年(1939)には県の史蹟(しせき)に指定されています。
場所は、下の地図になります。

下の写真は、その髪塔塚の敷地です

藤原藤房髪塔塚の敷地
周囲は玉垣(たまがき)で囲われ、正面(南側)には3基の石碑と案内板が建っています。
下は、石碑と案内板の写真になります。
藤原藤房髪塔塚の全景
中央の石碑には、「万里小路藤原藤房公遺蹟」と記されています。下の写真です。
万里小路藤房公遺跡の碑
建立されたのは、昭和9年(1934)です。
前年の昭和8年は、元弘3年の鎌倉幕府の滅亡と後醍醐天皇の親政開始から600年、昭和9年は建武改元から600年にあたり、これらを記念して建立されたものと考えられます。
建武改元は元弘4年になります。前年の元弘3年に鎌倉幕府が滅んで、後醍醐天皇の親政が始まることから、建武の新政はこの年からとなります。

万里小路藤房公遺迹碑(いせきひ)

石碑の左側に建つ案内板の写真が下になります。
藤原藤房髪塔塚の説明看板
案内板の文章によれば、一番右側の石碑の文章は三島毅(みしまき)によるものです。
下の写真が、石碑の写真です。
万里小路藤房遺迹碑
題額には、万里小路藤房公遺迹碑と書かれています。
碑文を書いた三島毅は、江戸時代の天保元年(1830)に現在の岡山県倉敷市に生まれました。
幼少時から学問に励み、備中松山藩士に取り立てられます。
三島の学問は漢学が中心でしたが、西洋の学問もすぐれているものは積極的に取り入れるとの柔軟な思考も有し、そのため尊王攘夷派からは敵視されたとも伝えられています。
明治維新後の明治5年(1872)には新政府に仕え、司法省に勤務します。
翌明治6年には新治裁判所長となり、土浦に赴任します。
明治7年5月、藤原藤房の遺跡を当時の藤沢村に訪ね、後に建碑のための文章を執筆しました。
以上の経歴は、二松学舎大学附属図書館発行の『三島中洲と近代-其一-』(外部リンク)(別ウィンドウで開きます)所収の「三島中洲年譜」の82頁に書かれています。

三島毅

さて三島毅は本名で、中洲は号になります。
大審院判事(だいしんいんはんじ)を最後に官を辞し、以後は学問の発展と普及、後進の育成に努めます。
現在の二松学舎大学の創立者にあたり、大学では学祖と称されています。
他にも、東京高等師範学校(現筑波大学)や東京帝国大学(現東京大学)の教授をはじめ、多くの学校で教鞭をとり、東宮御用掛(後の大正天皇の教育係)も務めました。
ところでこの三島毅は、今年の大河ドラマ「青天を衝け」の主人公である渋沢栄一とも深いつながりがあります。
渋沢は、明治15年から東京帝国大学講師となり、日本財政論を講義しています。
この時に三島と渋沢は知り合ったようです。
三島は、学者でありながらも第八十六国立銀行(現中国銀行)の設立に大きくかかわっています。
まさに「論語とそろばん」を地で行く二人は、出会うべくして出会い、以後も親交を深めて、その縁で渋沢は二松学舎の第3代舎長となっています。

終わりに(お詫び)

今回も取手市そのものとはあまり関係ないささやきになってしまいました。
それでも最後までお読みいただき、まことにありがとうございました。

茨城県独自の緊急事態宣言は解除されましたが、新型コロナウイルスの感染拡大は予断を許さない状況です。
引き続き万全の感染予防対策をお願いします。
新型コロナウイルスの感染症については、市ホームページのトップページおよび「新型コロナウイルス感染症に関する情報」のページをご参照ください。

 

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