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更新日:2019年9月20日

本多作左衛門重次の肖像画がテレビで放映されました(飯島章)

前回ささやきました、取手ゆかりの武将である本多作左衛門重次の肖像画が、9月16日にNHK総合で放送の「あなたも絶対行きたくなる!日本最強の城スペシャル第4弾」で放映されました。

福井県坂井市にある丸岡城が紹介されたなかで、丸岡藩初代藩主本多成重(なりしげ)の父親として取り上げられました。

さて番組では、江戸城・丸岡城・広島城の天守閣で一番古いものはどれかと問題が出されました。

正解は広島城でした。

かつて丸岡城の天守閣は、その古風なつくりから日本最古の天守閣とされている犬山城(愛知県犬山市)よりも古いとの説がありました。
坂井市では、丸岡城天守閣の国宝指定を目指し(現在は重要文化財)調査を進めたところ、江戸時代初めの寛永年間、三代将軍徳川家光の時代の建築と判明しました。

番組では、江戸時代も安定してきたころにもかかわらず、戦国の風が色濃く残る天守閣が建てられたのは、本多成重が勇猛果敢で武骨な本多重次の子であったからではないかとの話になっていたと記憶しています。

日本最古の天守閣の夢はかないませんでしたが、建築年代が明確となったこと、時代の流れに抗してあえて古風な天守閣を築造したことがわかり、文化財としての価値は一層高まるとともに、謎とロマンはなお深まったと言えます。

ところで本多成重は、父から引き継いだ取手市内にあった領地を、丸岡藩主になった後も所持していました。
下の写真の古文書(こもんじょ)は、元和(げんな)8年(1622)10月22日に二代将軍徳川秀忠が本多成重に領地である「井野郷桑原村青柳村」で鳥を取ることを許可した黒印状(こくいんじょう)です。
本多成重宛徳川秀忠黒印状(個人蔵)
現物ではありませんが、本多重次のご子孫のお宅に伝わる確実な写しです。
市内の井野・桑原・青柳のあたりは、本多重次の領地から成重の領地となり、成重が丸岡藩主になってからも丸岡藩の飛地(とびち)となっていたのです。
取手と丸岡城は、本多重次・成重父子との奇しき縁で結ばれていたのです。

今回のおまけです。

埋蔵文化財センターで開催の第46回企画展「大正時代の取手-明治と昭和をつなぐ時代-」の会期も、いよいよ9月23日(月・秋分の日)までとなりました。
最終日には、午前11時からと午後2時からの2回展示説明を行います。
3連休中のお天気は今一つのようですが、お見逃しのないようセンターに足をお運びください。

皆様のご来館をお待ちしています。

企画展については、「埋蔵文化財センターで第46回企画展を開催します」をご参照ください。

 

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