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更新日:2021年3月25日

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ゆく年くる年、今年は丑年(その4)牛霊碑と鼻ぐり塚(飯島章)

今年も早3か月が過ぎようとしています。
もう「ゆく年くる年」でもありませんが、丑年がらみのささやきにもう1回だけお付き合いください。

牛霊碑

市内六郷地区の清水にある長福寺の境内に、牛霊碑と記された石碑があります。
場所は、このページ下の地図をご参照ください。
牛霊碑の写真は、下になります。
牛霊碑(ぎゅうれいひ)
表面はだいぶ摩滅(まめつ)していますが、牛の字は読み取れます。
平成9年(1997)刊行の『ふじしろの石仏』131ページに掲載の写真では、牛霊碑の文字をはっきりと読み取ることができます。
『ふじしろの石仏』には、「牛霊碑は付近の小林長右エ門家が火災になったとき助けられずに、焼死した牛の供養のために建てられたという」と書かれています。
牛の供養碑としては、当時の藤代町内では唯一になります。
また『取手市史』石造遺物編によれば、合併前の旧取手市域には牛の供養碑はなかったようですので、現在の取手市域でも唯一の牛の供養碑となります。
かつての農家では、牛は家族も同様に扱われ、人間とともに農耕に励みました。
小林家の人びとの、家族同然の大切な牛を火災の時に救うことができなかった悔悟の念、そして不幸にして亡くなった牛の菩提を弔い、冥福を祈る心が伝わってきます。
牛霊碑の前には香炉(こうろ)が置かれ、今でも花が供えられ、厚く供養されていることがわかります。下の写真になります。
香炉が置かれ、花が添えられている牛霊碑

鼻ぐり塚

牛霊碑と同じく人間のために役立った動物を供養するものとして、鼻ぐり塚を紹介します。
鼻ぐり塚は、現在の岡山県岡山市北区吉備津にあります。
鼻ぐり塚については、「日本伝承大鑑」(外部リンク)(別ウィンドウで開きます)「吉備の中山を守る会」(外部リンク)(別ウィンドウで開きます)の「鼻ぐり塚」をご参照ください。
これ以外にも、「鼻ぐり塚」で検索すると探訪記がたくさん出てきます。
さて鼻ぐりとは、牛の鼻輪(はなわ)のことです。
下の写真は、「金べこ」または「黄金牛」(こがねうし)と呼ばれる、岩手県の民芸品です。
小金牛(こがねうし)
鼻ぐりに手綱がつけられている様子が、再現されています。
下の写真は、鼻の部分を拡大したものです。
小金うしの鼻の部分
鼻ぐり塚は、食肉となった牛の鼻ぐりを、もともとあった古墳に積み上げ塚としたものです。
現在は、福田海(ふくでんかい)という宗教法人によって供養されています。
昭和47年(1972)7月21日放送のウルトラマンA(エース)の第16話「夏の怪奇シリーズ怪談・牛神男」に、鼻ぐり塚が出てきました。
当時中学生だった筆者は、ウルトラマンAを見ていつかは鼻ぐり塚を訪ねてみたいと思い続けました。
そして10年の星霜を経た昭和57年8月3日、念願かなって鼻ぐり塚にお参りすることができました。
下の写真は、鼻ぐり塚でいただいた御朱印です。
鼻ぐり塚の御朱印
備中西国三十三観音札所の三十三番札所になっています。
瀬戸内の夏の太陽が燦々(さんさん)と降り注いでいたはずなのに、鼻ぐり塚の記憶は夕闇迫るような寂寥感(せきりょうかん)の中にあり、今でも当時を思い起こすと不思議な感覚に陥ります。
そして今なお増え続ける鼻ぐりを思うとき、牛たちの命をいただくことで生かされているのだと痛感します。

今年は丑年、で今回は牛霊碑と鼻ぐり塚を紹介しました。
最後までお読みいただきまして、ありがとうございます。

 

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