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更新日:2021年5月7日

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『取手市史』から広がる郷土の歴史(その2)(飯島章)

明治11年の茨城県古蹟調査と藤原藤房(ふじわらのふじふさ)

『取手市史』近現代資料編1の133ページに、明治11年(1878)1月9日付けの茨城県土浦支庁第3課から管内町村の副区長・正副戸長あての通達が掲載されています。
内容は、常陸国において亀ヶ岡および藤房卿(ふじふさきょう)の隠逃所(いんとうしょ)があれば、名称・郡名・町村名・面積などを詳細に取り調べ、大至急提出するようにとなっています。

「藤房卿」とは、藤原藤房です。万里小路(までのこうじ)藤房とも呼ばれています。
藤原藤房は、鎌倉時代の終わりから南北朝時代に活躍した貴族です。
後醍醐天皇の側近として建武新政権下で重く用いられます。『太平記』には後醍醐天皇にも諫言(かんげん)する気骨ある人物として描かれています。
しかし突然出家して人びとの前から姿を消し、その後半生は謎に包まれています。

御穂鹿嶋神社(みほかしまじんじゃ)

前回(3月15日)は、土浦市藤沢にある藤原藤房の髪塔塚(はつとうつか)についてささやきました。
今回は藤原藤房ゆかりの地として、東京都港区芝にある御穂鹿嶋神社についてささやきます。
御穂鹿嶋神社の御祭神は、藤原藤房です。JR山手線の田町駅から徒歩5分の場所に鎮座しています。下の地図をご参照ください。
御穂鹿嶋神社の由緒によれば、後村上天皇の時代、この地に気高き老翁(ろうおう)が来りて庵(いおり)を結び、村人たちを教え導いたそうです。老翁の死後、その高徳を偲んだ村人たちは、庵の跡に神社を創建して老翁を神としてまつったそうです。
伝説ですが、この老翁こそが藤原藤房だったと言うのです。後村上天皇は後醍醐天皇の皇子で、南朝第2代の天皇になります。
御穂鹿嶋神社には、平成26年10月11日に参拝しました。下は、その時にいただいた御朱印です。
御穂鹿嶋神社御朱印

今回のおまけ、几号水準点(きごうすいじゅんてん)

ここ御穂鹿嶋神社の境内にある狛犬の台石には、几号水準点が彫られています。
几号水準点とは、明治時代の初め内務省が測量や地図の作成を行うにあたって設置した水準点です。
几号高低標とも言われます。漢字の「不」のような記号が用いられています。下の写真になります。
几号水準点
当時の内務省では、イギリス人がお雇い外国人として勤務していたため、この記号はイギリスに由来するそうです。今でもイギリスでは、巷でよく見かけるとのことです。
ただしこれは御穂鹿嶋神社の狛犬の台石のものではありません。写真を撮ったと思って探したのですが、出てきませんでした。
上の写真は、新宿区神楽坂の善国寺の境内にある石虎の台石に彫られている几号水準点です。
下の写真が、本堂前の石虎です。
善国寺本堂前の石虎
台石の部分を拡大してみます。
善国寺虎石の台石
写真のほぼ中央に几号水準点があるのがわかります。
善国寺にお参りしたのは、平成25年9月21日でした。下は、その時いただいた善国寺の御朱印です。
善国寺の御朱印
几号水準点は、御穂鹿嶋神社や善国寺のように神社の鳥居、狛犬の台石、境内の石碑などに設置される例が多いとのことです。
「几号水準点」で検索すると、いろいろな記事が出てきます。最初に見るのであれば、「日本の測量史几号高低標」(外部リンク)(別ウィンドウで開きます)がおすすめです。
いままでお参りして御朱印をいただいた神社やお寺の境内にも、几号水準点があるところがけっこうあったようですが、新型コロナウイルス感染症拡大の状況下では、再訪もままなりません(できません)。

今回も、これまでのストックを使用してのささやきとなっています。

新型コロナウイルス感染症については、市ホームページのトップページ及び「新型コロナウイルス感染に関する情報」のページをご参照ください。

今回も取手とはあまり関係がなくなってしまった上に、「おまけ」の部分が大きくなってしまいました。
それでも最後までご精読いただき、まことにありがとうございました。

 

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