現在位置 ホーム > 月・木・SAY 職員のささやき > 生涯学習課・埋蔵文化財センター・公民館 > 飯島 章 > 『取手市史』から広がる郷土の歴史(その3)(飯島章)

印刷する

更新日:2021年5月22日

ここから本文です。

『取手市史』から広がる郷土の歴史(その3)(飯島章)

取手市は、茨城県から5月26日(水曜日)まで新型コロナウイルス感染症の感染拡大市に指定されています。
新型コロナウイルス感染症については、市ホームページのトップページ及び「新型コロナウイルス感染症に関する情報」をご参照ください。

郷土のあけぼのと古代をさぐる 茨城の考古展

昭和48年(1973)の2月24日から3月25日まで、茨城県立県民文化センター(現ザ・ヒロサワ・シティ会館)を会場に、「郷土のあけぼのと古代をさぐる 茨城の考古展」が開催されました。
当時中学生だった筆者は、「茨城の考古展」を見に常磐線に乗って水戸を訪れました。常磐線で土浦以北に行ったのは、この時が初めてでした。
下の写真は入場券です。中学生は70円でした。ちなみに一般(大人)は200円、学生は100円でした。
茨城の考古展の入場券

貝塚向山遺跡(かいづかむかいやまいせき)

下の写真は、この時に買い求めた図録です。値段は忘却の彼方ですが、中学生のお小遣いで買えるものであったことは間違いありません。
茨城の考古展の図録
B5判並製でカラーの口絵が3点、モノクロ写真が12ページで掲載写真は32点、解説が28ページの40ページほどの冊子です。
図録には、別刷りの「茨城考古年表」と「特別展に陳列される埋蔵文化財のおもな遺蹟分布図」が付いていました。
この「考古年表」と「遺蹟分布図」には、市内貝塚にある向山遺跡が縄文時代前期の遺跡として取り上げられています。
向山遺跡は、昭和33年と42年の2回にわたり早稲田大学の西村正衛(にしむらまさえ)教授と学生により発掘調査が行われています。その成果は、昭和44年に刊行された『取手町郷土史資料集』の第一集にも紹介されています。
『取手町郷土史資料集』第一集は、取手・ふじしろ・戸頭の各図書館に蔵書があり閲覧できます。
図書館の蔵書検索結果(外部リンク)(別ウィンドウで開きます)です。ふじしろ図書館の1冊は、館外貸し出しもできるようです。

埋蔵文化財センター企画展「取手の発掘50年史」

埋蔵文化財センターで6月6日(日曜日)まで開催の企画展「取手の発掘50年史」でも、向山遺跡を取り上げています。
下の写真は、向山遺跡を紹介するコーナーです。展示ケース一つ分ですが、右側には『取手町郷土史資料集』第一集が、左側には平成10年に市で発掘した際の出土した土器が展示されています。
取手の発掘50年史での貝塚向山遺跡の展示コーナー
平成10年(1998)の発掘では、古墳時代後期の建物跡が発見されました。向山遺跡は、縄文時代前期と古墳時代後期の複合遺跡であることがわかりました。
企画展については、「埋蔵文化財センター第48回企画展を開催中です」及び「埋蔵文化財センター」のページをご覧ください。

藤原藤房卿の遺跡(ふじわらのふじふさきょうのいせき)

さてこれまで2回、藤原藤房についてささやいてきました。
このページの最初に書いたように、筆者が初めて常磐線の土浦以北に乗ったのは昭和48年でした。
その時、岩間駅の観光案内板に「藤原藤房卿の遺跡」と書いてあるのに目がとまりました。
手元にある昭和47年に毎日新聞社から刊行された『国鉄協力 全国版各駅停車5000駅観光案内板』で岩間駅の観光案内板を見ると、藤原藤房卿の遺跡が駅の南西1キロメートルにあると書かれています。
藤原藤房の名は、小学校や中学校の社会科の教科書にはもちろん出てきません。
教科書には出てこないものの、駅の観光案内板に書かれるからにはそれなりに有名な人物ではないかとは思いましたが、今と違ってインターネットで何でもすぐに調べられる時代ではありません。
また「遺跡」というのが具体的にどのようなものかも、まったくわかりませんでした。
駅から1キロメートルなので歩いて行ける距離ですが、案内板の情報だけではどこにあるのか見当もつきません。
その後いつかは探し当てて訪ねてみたいと思いながら、数十年の歳月が流れてしまいました。
そこで次回は、岩間駅近くにある藤原藤房の遺跡を紹介します。

おわび

今回は、ことのほか散漫な内容になってしまいました。
それでも最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
厚くお礼申し上げるとともに、深くお詫び申し上げます。

 

広告エリア

広告募集要綱