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更新日:2021年6月25日

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取手に残る郵便創業期の遺産(飯島章)

はじめに

4月25日の月・木・SAYで、市内に残る丸型ポストについてささやきました。
これは、4月21日のビッグイーターさんの月・木・SAY「坂の途中で」で、市内に残る丸型ポストについてささやかれたのに触発されてのことでした。
ところで市内には、明治時代初めの郵便創業期の姿を今に伝える貴重な文化財が残っています。
今回は、これを紹介します。

旧取手宿本陣に残る郵便窓口跡

県指定文化財・市指定史跡の旧取手宿本陣染野家住宅に、明治時代初めの郵便窓口跡が残っています。
下の写真になります。
旧取手宿本陣染野家住宅に残る郵便創業期の郵便窓口跡
本陣主屋(しゅおく)正面の式台玄関右側になります。
上の部分がアーチの形をした窓口が二つあります。馬蹄形(ばていけい)窓口と言うようです。
下の写真は、建物内から見た郵便局跡の部屋になります。
旧取手宿本陣郵便跡の部屋
明治11年(1878)、当時のご当主の染野晋(すすむ)氏は、駅逓局長前島密(えきていきょくちょうまえじまひそか)から、現在の特定郵便局長にあたる五等郵便取扱役に任命されました。
この時に本陣の建物を改造して、郵便窓口を設置したのです。
お客さんは建物の外側に立って、この窓口を通して立ったままで用件を済ませることになります。
現在であれば、郵便局に限らず役所・金融機関・会社・商店でも、カウンター越しに立っての接客は普通のことです。
しかし明治時代初めの人びとは、文明開化の香り漂う全く新しい接客方法と感じたのではないでしょうか。
郵便の創業と普及は、江戸時代の飛脚のように、大名や武士、豪農・豪商だけが特権的に利用できるのではなく、すべての国民が安い料金で全国に手紙が出せる制度を作り上げることであり、それは四民平等の近代社会を実現することでもあったのです。
まさに郵便は、手紙とともに新しい生活様式を人びとのもとに運んできたと言えます。

全国に残る郵便窓口跡

旧取手宿本陣と同じく、郵便創業期の建物の外側に面した窓口跡は、次の3件が現存していることが確認されています。

旧府中郵便取扱所(旧矢島家住宅)

関東地方では、東京都府中市にあります。
詳しくは、府中郷土の森博物館のホームページの旧府中郵便取扱所(旧矢島家住宅)(外部リンク)(別ウィンドウで開きます)をご覧ください。
建物1階の左側に、郵便窓口跡が2か所あるのを見ることができます。

旧茗荷(みょうが)郵便取扱所松本家住宅

奈良市の松本家住宅にも、郵便窓口跡があります。
奈良市ホームページの文化財の紹介から「松本家住宅」(外部リンク)(別ウィンドウで開きます)をご覧ください。建物のほぼ中央に郵便窓口跡があります。
郵便窓口跡は、「愛しきものたち」の「奈良市旧田原村茗荷町松本家住宅」(外部リンク)(別ウィンドウで開きます)に掲載の写真が、よくわかります。

旧黒山郵便局川口家住宅

関西地方にもう一つ残る郵便窓口跡は、堺市美原区にある川口家住宅です。
なかなかいい写真が見つかりませんでした。
堺市ホームページにある「美原区まちづくりビジョン」(外部リンク)(別ウィンドウで開きます)の11ページに掲載の写真の2枚目、中央の通りの左側が川口家住宅と郵便窓口跡です。
明治28年に川口家が郵便事業を引き継いだ時に自宅を改造したとのことで、昭和30年ころまで郵便局として使用していたそうです。

おわりに

旧取手宿本陣は、大名行列や旅人が行き交った江戸時代の宿場の面影を伝えるとともに、文明開化の香り漂う明治時代の郵便創業期の姿も残しているのです。

 

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