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更新日:2021年7月2日

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続・取手に残る郵便創業期の遺産(飯島章)

旧取手宿本陣にあった郵便局のその後

前回は、旧取手宿本陣染野家住宅に今も残る明治時代初めの郵便創業期の窓口跡を紹介しました。
今回は、旧取手宿本陣にあった郵便局が、その後どうなっていったかについてささやきます。

昭和31年(1956)の取手町の『町政要覧』を見ると、取手郵便局の所在地は「字仲町甲(あざなかちょうこう)1064」となっています。
甲1064は、旧取手宿本陣の県道(旧水戸街道)に面したところになります。
これは想像も入っていますが、取り扱う郵便業務の増加から、通りに面した場所に郵便局を移転したと考えられます。

次に昭和45年の『市制施行協議資料』を見ると、取手郵便局の所在地は「大字台宿(おおあざだいしゅく)810」となっています。
大字台宿810は現在の東2丁目の1にあり、八坂神社の向かいになります。
現在は消防団の詰所があります。場所は下の地図をご参照ください。
これも想像が入っての話ですが、昭和31年から45年の間に字仲町甲1064から大字台宿810に移転したと考えられます。

下の写真は、台宿810にあったころの取手郵便局の写真と考えられます(取手市教育委員会所蔵)。
旧取手郵便局
右側には丸型ポストが写っています。
左側のバス停のポールには、「郵便局前」と書かれています。そのものずばりのバス停名です。

さてウィキペディアの「取手郵便局」(外部リンク)(別ウィンドウで開きます)には、昭和50年10月20日に取手郵便局は取手市取手二丁目から同市稲字向原(いなあざむかいはら)に移転したと書かれています。
これ以前の所在地の移動については、記述はありません。
すでにふれたように、大字台宿810は新住居表示では東2丁目の1になります。
ここから細い道を挟んで西側が、取手二丁目になります。
東2丁目と取手2丁目が、どこかで錯綜してしまったのでしょうか。

稲字向原に移転した郵便局が、現在の取手郵便局になります。いわゆる本局です。ただし本局と言うのは、正式な名称ではないようです。
場所は変わらずに、住居表示だけが稲字向原から西2丁目37-1になっています。

旧取手宿本陣にあった郵便取扱所は、めぐりめぐって現在の取手郵便局、いわゆる本局となったのです。

取手一郵便局

旧取手宿本陣の近く、取手1丁目12-18に取手一郵便局があります。こちらは、特定郵便局です。
下の写真は、取手一郵便局のシャッターに書かれた郵便局名です。
取手一郵便局の局名が書かれたシャッター
〇〇一郵便局と言う名称は、ここ取手だけではなく各地にあります。
茨城県内では、阿見中央一郵便局、日立鮎川一郵便局があります。
この○○一郵便局とは、その地域で一番最初に開業した郵便局に付けられる名称だと、勝手に思い込んでいました。
さて、旧取手宿本陣に設置された郵便取扱所のルーツは、明治5年(1872)にさかのぼります。
明治5年7月1日から、ほぼ全国一斉に郵便事業が開始されます。
この年、取手宿の元問屋だった谷沢一郎が、郵便取扱役に任命されました。
取手郵便取扱所は、近隣では最も早くに開局した郵便局の一つになります(これは間違いありません)。
そして明治11年に、旧本陣のご当主だった染野晋(そめのすすむ)が五等郵便取扱役になり、自宅を改造して郵便局としたのです。
それで、旧取手宿本陣にあった郵便局が、めぐりめぐって取手一郵便局となったのだと信じて疑いませんでした。
今回郵政博物館に問い合わせたところ、それはまったくの間違いであることが判明しました。

これまで旧取手宿本陣で説明・案内をするとき、上記の誤った説明を得意になってしてしまい、お聞きになって「ほぉー」と感心された皆様に、この場をお借りして懺悔(ざんげ)いたします。
どうかお許しくださいますよう、心からお願い申し上げます。

 

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