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更新日:2021年10月4日

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本陣で過ごす癒やしのひと時(ともちんあなご)

皆さんこんにちは、ともちんあなごです。
広報とりで10月1日号特集は、「旧取手宿本陣染野(そめの)家住宅と水戸徳川家とのつながり」です。
建物や歌碑、染野家に伝わる水戸藩主直筆の掛け軸やそれらにまつわるエピソードを紹介しています。
今回のささやきでは、ロケハンに行ったともちんあなご視点で本陣の魅力を皆さんにお伝えします!

江戸時代、水戸藩主や大名が休息に利用した「癒やし」の地

本陣にあるあんどん風の証明器具(本文用)
「なんだかホッとして癒やされるなぁ…」というのが、本陣に足を踏み入れた瞬間の感想です。
不思議と穏やかな気持ちになれる、そんな魅力が本陣にはあります。

本陣とは

江戸時代、参勤交代の制度により大名は江戸と領地の間を往復し、その道中で宿泊や休憩に利用した施設を「本陣」といいます。
17世紀後半、千住と水戸を結ぶ水戸街道の宿場として整備されていった取手宿。貞享4年(1687年)に染野家が水戸徳川家から本陣に指定されました。
水戸徳川家歴代の藩主だけでなく、江戸と水戸の間を行き来する大名が本陣を利用したそうです。


トップ画像に使用した写真は、本陣の中に置かれているあんどん風の照明です。
眺めていると江戸時代にタイムスリップした気持ちになります!

20センチメートルの差には訳がある!「上段の間」

本陣「上段の間」
主屋(しゅおく)西側には8畳間が南北に3部屋つながっています。
水戸藩主など重要な人物が使用したのが、一番奥(北側)にある上段の間です。
写真のように、上段の間は床が約20センチメートル高くなっていて、この部屋を利用する人物の身分が高いことを表しています。お殿さまがいるときは、天井裏と床下に家来が隠れ警護したといわれています。
床の左側の平書院(ひらしょいん)の障子の上には、ひょうたんのくりぬきのある板欄間がはめ込まれています。ひょうたんが好きなので、とてもうれしくなりました!

貴重な明治時代のガラス戸と郵便窓

中に空気の泡がある板ガラス

本陣、明治時代のガラス戸

話は武家ゾーンから染野家のかたが住まいとして利用していたゾーンに移ります。
本陣は、大名や武士が本陣として使用する部屋と、そこに居住する人びとが日常生活を営む部屋に厳格に分かれていました。
写真は、明治時代に染野家のかたが家を直したときにガラス戸に変更したものです。
ガラス戸の中に空気の泡があり、表面が波打っている貴重なものです。
当時の空気をそのまま包み込んでいるのかと思うと、なんだか感慨深いですね。

本陣に残る明治初めの郵便窓口跡

本陣に残る明治時代の郵便窓口跡
主屋(しゅおく)正面の式台(しきだい)玄関の右側に、明治初期に作れらた郵便窓口があります。
上部がアーチを描いた形状から、馬蹄(ばてい)形窓口と呼ばれています。
建物の外側に面している明治初めの郵便窓口は、全国で4カ所しか現存していない内の一つです。
当時の人たちは、手紙とともにいろいろな思いをのせて、この窓口でやり取りしていたのでしょうか。

特集連動動画で主屋内部を探検!

10月1日号の特集と連動した動画では、旧取手宿本陣染野家住宅主屋の内部を動画で紹介します。
ともちんあなごが紹介したスポット以外にも、あなたならではの発見があるかもしれません!
特に、冒頭の表門を開いて中に入っていくシーンは臨場感があります。

江戸城無血開城の翌日の慶応4年(1868)年4月12日。江戸幕府最後の将軍徳川慶喜(よしのぶ)は、取手宿本陣に立ち寄り、式台玄関に駕籠(かご)を横付けせず表門で降りて草履に履き替え、式台まで歩いたと伝えられています。
徳川慶喜がどんな気持ちでこの本陣の地を訪れ、その一歩一歩をかみしめたのか、思いをはせませんか。

広報とりで2021年10月1日号特集「旧取手宿本陣染野家住宅」

 

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