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更新日:2023年11月21日

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取手の火の見やぐら(その17)(飯島章)

旧藤代町役場に立つ火の見やぐら

またまたご無沙汰してしまいました。
「取手の火の見やぐら」も17回目となりました。
今回も写真の中にのみその姿を留める今はなき火の見やぐらを紹介します。
写真は下になります。
昭和48年の藤代町の相馬野馬追(取手市教育委員会所蔵)
場所は現在の藤代公民館のあるところです。下の地図もご参照ください。
正面に写っている木造二階建ての建物は、当時の藤代町役場です。
写真左側に火の見やぐらが建っています。
拡大したものが下の写真です。
昭和48年の藤代町火の見やぐら
見張台は八角形、屋根も八角形です。
屋根の下には半鐘が吊り下げられているようです。
この火の見やぐらも藤代町役場の建物も、現在はありません。

藤代町に相馬野馬追(そうまのまおい)来たる

この写真には、藤代町役場の前に甲冑(かっちゅう)に身を固めた騎馬武者が写っています。
撮影年代は昭和48年(1973)です。
この年、藤代町では福島県の原町市(はらまちし、現在の南相馬市)から相馬野馬追を招き、町内を騎馬武者の行列が練り歩き、小貝川の河原では勇壮な神旗争奪戦(しんきそうだつせん)が執り行われました。。
これはそれまで開催されていた花火大会が市街地化が進んだために中止となり、それに代わるものとして行われたものです。
藤代町でも東京の近郊として人口が増加し、都市化が進んできたことを象徴する出来事でした。
紹介した写真は、藤代町役場の敷地で騎馬武者が休憩しているところを撮影したものになります。
ちょっと舞台裏か楽屋をのぞいているような、それでいて地元の人びととのふれあいが感じられる味わいのある光景です。
下の写真は、本場の相馬野馬追の騎馬武者行列の絵はがきです。古写真とまではいきませんが、かなり古めかしい印象を受けます。
相馬野馬追騎馬武者行列の絵はがき(筆者所蔵)
人工着色のカラー写真のようですが、同じような威風堂々とした騎馬武者の行列の光景が、当時の藤代町でも繰り広げられました。

相馬野馬追については、南相馬市のホームページ(外部リンク)(別ウィンドウで開きます)をご参照ください。
当時の藤代町・原町市とも平将門ゆかりの地であることから、相馬野馬追を呼んだとのことです。

おわりに

昭和48年の藤代町での相馬野馬追を知る人も、火の見やぐらの記憶とともに次第に少なくなってきたようです。

今回は、昭和48年の藤代町役場の敷地内におそらくは立っていたであろう今はなき火の見やぐらと、この年に行われた相馬野馬追を紹介しました。

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

 

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