現在位置 ホーム > 月・木・SAY 職員のささやき > 生涯学習課・埋蔵文化財センター・公民館 > 飯島 章 > 取手の火の見やぐら(その15)・埋蔵文化財センター第51回企画展が開催中です(その4)(飯島章)
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またまたご無沙汰してしまいました。
連日の猛暑(酷暑)も少しはやわらぎ、朝夕には秋の気配がそこはかとなく感じられるようになりました。
皆様にはいかがお過ごしでしょうか。
大雨の被害を受けた皆様には心よりお見舞い申し上げます。
さて今回は、「取手の火の見やぐら」(その15)と「埋蔵文化財センター第51回企画展が開催中です」(その4)を、いっしょにささやきます。
埋蔵文化財センター第51回企画展「絵はがきでよみがえる昔の取手」では、明治43年(1910)11月4日開催の取手尋常小学校秋季大運動会の絵はがき5点を展示しています。
下の写真はその1枚、「秘密運動桃太郎」の絵はがきです。
(取手市教育委員会所蔵)
秘密運動桃太郎とは、どのような競技なのでしょうか。
それはさておき、取手尋常小学校は現在の市民会館・福祉会館の場所にありました。
江戸時代、ここには西照寺と呼ばれたお寺がありましたが、明治維新の時に廃寺となりました。
西照寺のお堂を利用して、明治6年に近隣では最初の小学校である里仁(「さとに」、または「りじん」)小学校が開校しました。
左側は小学校の校舎、右側は旧水戸街道沿いに建つ茅葺きの住宅です。
右端に火の見やぐらが写っています。拡大したものが下の写真です。
木でやぐらが組んであり、見張台が設けられ、屋根の下には半鐘が吊り下げられているのを見て取れます。
次の写真は、五六男連合体操の絵はがきです。
五年生と六年生の男子による体操の光景になります。
(取手市教育委員会所蔵)
中央よりやや左寄り、茅葺きの民家の屋根の上に火の見やぐらが見えます。
拡大したものが下の写真です。
同じ火の見やぐらを、場所を少し変えて撮影したものです。
明治43年には、八坂神社近くの旧水戸街道沿いに火の見やぐらが建っていたことが、この2枚の絵はがきからわかります。
「取手の火の見やぐら」は令和4年4月4日掲載の「取手の気になる物件」が(その1)になっています。
すでに約1年半連載が続いたことになります。これも皆様のおかげと深く感謝申し上げます。
ところで現在の「月木SAY(げつもくせい)」は、1年経過すると記事は削除されて見ることができなくなってしまいます。
国立国会図書館インターネット資料保存事業(外部リンク)(別ウィンドウで開きます)では、全国の市町村のホームページを保存されていて、ログインなしで閲覧できるようになっています。
こちらで、2022年(令和4)7月5日更新の取手市のホームページ(外部リンク)(別ウィンドウで開きます)を検索すると、「取手の火の見やぐら」(その1)の「取手の気になる物件」(外部リンク)(別ウィンドウで開きます)が閲覧できます。
「取手の火の見やぐら」の(その6)(外部リンク)(別ウィンドウで開きます)では、大正時代の終わり頃から昭和初め頃の取手名勝絵はがきに写る鉄製の火の見やぐらを紹介しています。
写真は下になります。
(個人蔵)
この絵はがきは今回の企画展で現物を展示しています。
2022年(令和4)7月5日更新の取手市のホームページでは、「取手の火の見やぐら」の(その7)(外部リンク)(別ウィンドウで開きます)までを見ることができます。
ここでは、昭和29年1月24日撮影の取手町の写真に写る木造火の見やぐらを紹介しています。
写真は下になります。
(取手教育委員会所蔵)
こちらの写真は、今回の企画展では展示していません。
「取手の火の見やぐら」(その8)以降は、2023年(令和5年)7月5日更新のホームページ(外部リンク)(別ウィンドウで開きます)から見ることができます。
「取手の火の見やぐら」(その8)(外部リンク)(別ウィンドウで開きます)では、明治16年撮影の取手の街並みの写真に写る木製はしご型の火の見やぐらを紹介しています。
この写真は取手の街並みを撮影した最古の写真になります。
絵はがきではなくいわゆる生写真ですが、今回の企画展では複写したものを展示しています。
下の写真になります。
(取手市教育委員会所蔵)
今回も手前味噌な話で長くなってしまいました。
最後までお読みいただき、まことにありがとうございます。
埋蔵文化財センター第51回企画展「絵はがきでよみがえる昔の取手」にも足をお運びください。